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医療の歴史

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B.C 2800頃 古代中国では独自の「東洋医学」が芽生えた。中国文明で中国医学の始祖として神農の「神農 本草経」

B.C 2600頃 中国医学の開祖として黄帝の「黄帝内経」精神療法・食療法・薬物療法・全身療法・鍼灸療法など

B.C 2600頃 エジプト文明では医学知識はすべて、医師の守護神であるトト神から与えられたものと信じられ、あらゆる病気の原因として神々の意思が最上位に置かれていた。医神イムホテプは医療・建築などに携わる 

         古代エジプトでは宗教的・魔術的治療とともに下剤や催吐剤をはじめとした多くの薬物療法、ケシやマンダラケによる麻酔、骨折や脱臼の整復術、止血法、膿瘍の切開など。

         古代メソポタミアでは医師という職業が存在した。くさび形文字の粘土板(B.C2200頃)の医学書も作られ、外傷や骨折、白内障の外科手術も行われていた。ハンムラビ法典(紀元前1800世紀)には医療費の規定や医療過誤の罰則も記されている。医療裁判はとても厳しく「医者が治療に失敗したときに両手を切り落とされる」などの規定がある。病罹観は哲学的、宇宙論、悪魔論、寄生虫論、体液病理論などが混然一体となっていた。

         インダス文明では健康と長寿の秘訣である「アーユルヴェーダ」という知識の大系に集成していった。古代インドではインド特有の宇宙哲学や呪術と結びついた治療とともに、合理的な医療も生まれ、形成や外傷医療などの外科手術が発達した。

B.C 460頃~370頃 古代ギリシャでヒポクラテスによるヒポクラテス全書「言論によるだけの結論からは有益なことは生まれえないが、実証による結論からは、益が生ずる」「金銭欲を持たないこと、自重、羞恥、節度あるみなり、名誉心、判断、平静、志操堅固、純粋、格言的な簡潔な言葉、人生に有益かつ不可欠なものを知ること、悪徳行為回避、迷信からの自由、神的高潔である」

A.D 125頃~200頃 古代ギリシャでガレノスは四体液説を完成させる。古代ギリシア人は世界が4つの元素「水・火・空気・土」から構成され「湿・温・乾・冷」の性質を持ち、春(温湿)・夏(温乾)・秋(冷乾)・冬(冷湿)という季節の移り変わりも4元素の性質を反映すると考えた。四体液説は人体も4つの性質をもった体液によって構成されているとする説である。温かく湿った「血液」は心臓で、温かく乾いた「黄胆汁」は肝臓で、冷たく乾いた「黒胆汁」は脾臓で、冷たく湿った「粘液」は脳で作られるとしていた。黒胆汁は下血や吐血の時にみられる黒褐色の排出物から考えられた。季節の変化にともない体液のバランスも変化し、病気に季節的な流行があるのはこのためとされた。生理学実験を多く行い、「実験医学の開祖」ともいわれる。当時は「静脈の中には血液が、動脈の中には空気が流れている」とされていたが、動脈を2か所でしばりその間を切開することで「動脈の中に血液が流れている」ことを証明した。「脳が脊髄を通じて末梢神経を支配している」という事実を脊髄を縦切・横切するなど破壊実験に基づきさまざまな神経生理的学的機能の発見をした。当時は「声は心臓から発せられる」と信じられていたが、反回神経や気管を切断することなどにより「声が声帯から発せられる」ということを証明した。呼吸生理学の実験では肋間を開き、袋を縫い付けることで「肺の膨張が、横隔膜の下降による胸腔内の陰圧によるものである」ということを証明。当時は尿は膀胱で作られると信じられていたが、尿管をしばることで「尿が腎臓で作られている」ことを発見。

2世紀~3世紀 張仲景により「傷寒論」がまとめられる。

982年 平安時代に丹波康頼は中国医学をベースとして「医心方」を著した。全50巻

1507~1594年 曲直瀬 道三は李朱医学に中国の古今の医学を研究し「道三流」医学を確立した。

1543年 アンドレアス・ヴェサリウスによ「ファブリカ(人体構造論)」が出される。初めての写実的な解剖学書であった。

16世紀 アンブロアズ・バレはフラン

スと神聖ローマ帝国とイタリアの覇権をめぐり戦争が行われてる際に軍医として配属された。その当時銃火器が戦争に使われだしたころで銃で撃たれた跡が化膿するのは、傷が火薬の毒に汚染されているためと考えられていた。なので銃創を負ったものに火薬の毒を消し去るために傷口を煮えたぎった油で消毒したり、焼きゴテで焼いたりする処置がとられていた。ある日油が切れていたために卵黄と油をまぜて軟膏を作り使用したところ今までの治療では考えられないほど回復した。また四肢の切断面の血管を糸でしばるという治療法を復活させた。古代ギリシャで行われていたが、この時代には一部の外科医が小さな傷の止血のときにしか使用していなかった。

     パトヴァ大学の理論医学教授であったサントリオ・サントリオは「サントリオの体重計」という実験を行いました。一日中はかりの上で過ごし飲食物・排泄物をはかり、体重の変化を記録しました。

1628年 ウィリアム・ハーヴェイは「動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究」で血液が循環していることを発表した。

1665年 イギリスのロバート・フックは顕微鏡図譜である「ミクログラフィア」を出版した。

17世紀 ペルーでマラリアの特効薬「キナ」の木皮が輸入された。マラリアに感染すると、回復までに数カ月を要し、時には死に至る。しかしキナ皮を用いると2・3日で軽快する。

1759年 山脇東洋により解剖の観察記録である「蔵志」が刊行された。

 1761年 北イタリアに生まれたジョヴァンニ・モルガーニは病理解剖学書「解剖により明らかにされた病気の座と原因」を出版した。そこには700例にものぼる剖検症例の臨床経過と解剖所見が記されていた。症例1虫垂炎 74歳男性、1カ月前より右足をひきずるような歩き方をはじめ、腹痛を訴えていた。やがて右下腹部に「犬にかまれたような」激痛が出現。診察した医師は、右下腹部にしこりを触知、老人は脈が速く、目はおちくぼみ、舌が乾いていた。やがて痛みとしこりは腹部全体に広がり、老人は臭い嘔吐をして悶絶sいて死亡。解剖所見では、盲腸の基部に広汎な壊疽がみられ、足に通じる筋肉に接して大きな膿瘍が形成されていた。症例2急性硬膜外出血 酒飲みの乞食、酔っ払って仲間とケンカし左こめかみを棒で殴られる。受傷直後は左耳から出血がみられた。その後ケンカはおさまり仲間と仲直りのワインを飲んでいたが、その夜しばらくしてから乞食は急死。解剖所見では、頭蓋と脳を包む膜の間に血塊が生じ、大脳皮質が圧迫されていた。

      ウィーンの医師レオポルド・アウエンブルッガー「打診法」を著書の出版により発表した。しかしこのときは全く注目されず1808年にフランス語で訳されてから広まりだした。

1773年 杉田玄白は本格的な解剖学の翻訳書「解体新書」を出版した。

1804年 華岡青洲は麻酔薬「通仙散」により全身麻酔手術を行った。これは米国で「吸入麻酔法」が発見される40年も前のことであった。

1818年 フランス人の医師ルネ・ラエンネックは聴診器を使った聴診法にかんする著書を書いた。聴診法は古代ギリシャの時代からすでに行われていた。

1786年 ロンドンの医師ウィリアム・ハンターが淋病患者の膿を自らの局部に突き刺し感染させ淋病の感染経過を明らかにし「性病の研究」を出版した。

1796年 イギリス人のエドワード・ジェンナーは実験を行った。少年の腕に半インチほどの傷をつけ、女性の手の牛痘病巣から採った液にひたしたメスをあてた。その6週間後少年に天然痘を接種したが何の症状も起こらなかった。その後何度も少年に天然痘を接種し続けたが天然痘に感染することはなかった。人類初のワクチンの誕生であった。18世紀のヨーロッパでは100年で6000万人の人が天然痘で命を落としていました。致死率は30%で命をとりとめても皮膚にぶつぶつやくぼみが残り、視力障碍などの後遺症で苦しみました。1798年に「牛痘の原因と効能」を自費出版しました。後にルイ・パスツールにより世界中にアクチニアウイルスの技術が広められました。1977年ソマリアで報告された患者を最後に天然痘の発生は途絶えました。1980年5月8日世界保健機関(WHO)は天然痘の絶滅宣言を発表した。

1824年 オランダ商館医として来日したフランツ・シーボルトは長崎郊外の鳴滝の別荘で「鳴滝塾」をはじめ日本人に医学教育を行った。

1842年 アメリカ人クロフォード・ロングはエーテルを吸入麻酔法に使用して手術を行った。

1843年 ボストン大学の解剖学教授のアメリカ人医師オリバー・ウェンデル・ホームズはボストン医学会で産褥熱に関する論文を発表した。医師は死体解剖や産褥熱の患者を診察した直後に妊婦の診察をいけない、診察の後は手を清潔に洗い衣服も取り替えなければならない。これは産褥熱の原因と予防法を正確にとらえた論文であったが当時のアメリカでは受け入れられなかった。

1846年 ウィリアム・モートンはマサチューセッツ総合病院で麻酔法の公開実験を行った。

1849年 「蘭方禁止令」が発令。蘭医書は厳しく検閲され蘭方医学を眼科と外科以外に用いることを禁止した。佐賀藩の伊藤玄朴の進言により牛痘種痘が行われた。このころは定期的に天然痘が流行していた。

1849年 ハンガリー人の産科医イグナーツ・ゼンメルワイスはウィーン総合病院の産科病棟の産褥熱の原因を研究しました。年間約3500例の分娩の中で第1産科では年間600~800人死亡しているのに、第2参加では60人程度という大きな差に疑問を持ち調べた。ある日友人が産褥熱患者の病理解剖をする際に学生のメスによって腕に傷を負いそこから敗血症で急死した。この友人の解剖所見が産褥熱とほぼ同じであったことから妊婦を殺していたのは医者の手が原因であるということにたどりついた。ここから洗面器による手洗いをすすめた。この結果第1産科病棟の死亡率は12.34%から1.33%へと激減し第2産科病棟のと差がなくなった。1860年には「産褥熱の原因、観念および予防」を発表したが受けいれられなかった。理由は医者にとって「今まで多くの患者を殺してきたのが自分自身であることを認めること」となるからでした。

1858年 伊藤玄朴が江戸に種痘所を設立し、のちに西洋医学教育を始めた。

1861年 フランスの生化学者ルイ・パスツールは「自然発生説の検討」を発表し、液体を煮沸するのではなく50~60度で穏やかに加熱して殺菌する方法を考え出した。これは「低温殺菌法」として現在にも用いられている。1881年炭疽病ワクチンの公開実験を成功させたが、量産できる段階ではない状態で世界中に品質不全なワクチンを送付し各国で多くの被害を生んだ。1885年狂犬病の発症を予防するワクチンを作成した。

 1868年 イギリス人ジョセフ・リスターは動物の腸からつくられた腸線をクロム酸によって処理し、耐久性のある吸収糸を作成した。これは現在世界中で広く使われている縫合糸「クロミックカットグット」です。その外にも石灰消毒がすべての外科処置に有効であるとして術野に石灰酸の霧を噴霧しながら手術を行う方法を考案し、壊疽と敗血症を大きく減らした。1887年より術野への石灰酸噴霧は皮膚や気道を刺激し医師の健康を害するものであったので手術中の石灰酸噴霧を中止しました。

1876年 ドイツ人ロベルト・コッホはブレスラウ大学で公開実験で発表した。コッホの三原則①その病気では、その病原体がいつもみつかる②その病原体を体外で培養できる③その病原体を生体に接種するとその病気がおこる。1890年「ツベルクリンが結核の治療に有効である」と発表したがこれにより多くの被害者を生んだ。1905年ノーベル生理学・医学賞「結核に関する研究」

 1890年 アメリカの外科医ウィリアム・ハルステッドは手術用ゴム手袋を使用した。これは肌の弱い看護師に手荒れを防ぐ目的で使わせたが、これが感染防止に有効であった。

1890年 北里柴三郎は血清療法を開発した。病原体や毒素にさらされた動物の血中に作られる抗体を治療に用いる方法であり、現在も蛇咬傷の解毒などに用いられる。「ジフテリアおよび破傷風の血清療法について」を発表した。

1895年 ドイツの物理学者ウィルヘルム・レントゲンは「放射線の1新種について」という題の論文を書き上げた。1901年ノーベル物理学賞「X線の発見」。科学者たちはX線のことをレントゲン線とよんだ。

1929年 1932年 イギリスの医師アレクサンダー・フレミングは世界初の抗生物質「ペニシリン」を発見に関する論文を発表した。当時の評価は「優れた消毒薬」という評価であった。カビや放線菌などの微生物は細菌との生存競争にまけないために、抗菌作用のある有機物質を産生するこれが抗生物質です。1875年ジョン・ティンダルはアオカビの抗菌作用に関する現象を観察・記録していた。ペニシリンは細菌の細胞壁の形成を阻害する薬剤で、細胞壁は細菌にとって生存に必須な構造でヒトを含めた真核生物には存在しないために細菌に対する選択毒性が強く、ヒトに対する毒性が非常に少ない。鼻水・だえき・涙にある抗菌物質である消炎酵素リゾチーム(ライゾザイム)も発見した。消炎剤・感冒薬などに配合されている。

1945年 オランダのコルフが人工透析に成功した。

1951年 モーリス・ウィルキンスはナポリの学会でDNAに関する講演を行った。

1953年 アメリカのギボンは人工心肺手術に成功した。

1954年 ボストンのピーター・ベントプリガム病院の内科医メリルと外科医マレイらは一卵性双生児間の腎臓移植を成功させた。

1962年 モーリス・ウィルキンスとジェームス・ワトソンとフランシス・クリックはノーベル生理学・医学賞を受賞した。

1963年 肺移植が行われた。

1963年 肝臓移植が4例行われたがどの患者も1カ月以内に死亡した。

1966年 膵臓移植あ行われた。

1967年 心臓移植が南アフリカのケープタウンで行われた。患者は術後18日で死亡した。

1968年 心臓移植がアメリカを中心に100例以上行われたが免疫抑制がなかったために予後は厳しいものであった。

1972年 イギリスのコンピューター技師ハウンズフィールドらによるCTの発明。

 1980年 スタンフォード大学の心臓外科医ノーマン・シャムウェイはシクロスポリンを使用することで80%を超える1年生存率を得ることに成功した。2010年には移植後の5年生存率は腎臓80%以上・心臓70%以上・肝臓60%以上となった。

2010年 イギリス人ロバート・エドワーズは「体外受精技術の確立」でノーベル生理学・医学賞を受賞した。

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